ローマ皇帝の宮殿を起源とする街「スプリット」
アドリア海沿岸で最大の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街になった珍しい起源を持つ街で、1979年に世界遺産に登録されています。
ディオクレティアヌスはもともとは一介の軍人でしたが、284年に即位するとローマ帝国を外敵から守るために、東西に分割し自らは帝国の東側を担当し、官僚制の整備や税制の改革などを実行、また303年にはキリスト教徒に対する弾圧でも知られています。305年に引退したディオクレティアヌスが余生を過ごしたのが、スプリットの宮殿です。


城壁に囲まれた旧市街の中心はペリスティルと呼ばれる広場で、その東側に位置する大聖堂はディオクレティアヌス宮殿を代表する建物です。鐘楼はスプリットのランドマークですが有料で登ることもでき、最上階からは旧市街を一望することができます。大聖堂はもともとはディオクレティアヌスの霊廟として建てられましたが、後にキリスト教の教会として使われるようになりました。

ペリスティルのすぐ近くに位置する前庭は、円形の形をした広間で皇帝の私邸の玄関でした。かつてはモザイクで装飾されたドームで覆われていましたが、 現在は天井に穴が開いた状態となっています。

ディオクレティアヌス宮殿の南半分は皇帝の私邸として使われ、その地下には広い空間が広がっており、展示物はあまり多くありませんが当時を忍ばせる宮殿を支える列柱やディオクレティアヌスの胸像などが見学可能です。

旧市街の南側には港が広がり、遺跡の街と開放的な雰囲気を同時に感じられるスプリットは、他の街とは異なる独特な魅力のある街と言えます。